動の赤と静の青

幾千万の星から 貴方を見つけられる

現場に行ってきた

担当を生で観た。約2ヶ月間の担当グループのツアーがついこの間オーラスを迎えた。

 

私は結局、オーラス含めて複数の公演に入った。全部で5都市を巡った。平日死ぬ気で働いて仕事を終わらせ、毎週末どこかしらの地方のアリーナにいた。

 

現場に入る前、「まだ生で観てないのにそんなに拗らせてて大丈夫?」って友人各位に言われてたんだけど、大丈夫じゃなかった。実際入ってみてもっと拗らせた。

 

もちろんここで証拠を示す術はないので、戯言だと思ってもらって結構だけど、結論から言うと私は担当に所謂「ファンサ」と言うものを頂いた。トロッコが通る通路最前の席を、アリーナとスタンドとそれぞれ1回ずつ引いたのだ。(これは完全に運で、会場に入ってからお金でどうこうしたりはしてません)

 

自分が世界で1番愛してやまない人の瞳に、本当に一瞬だけど、その瞬間だけは、自分だけが映ってるってすごいことだなあと思う。

自分を、というか自分が持ったうちわを見て、笑ってくれて目を見てくれて…ファンサってすごい。純粋にファンサ貰えてめっちゃ嬉しい。友人に自慢しまくった。一緒に喜んでくれてありがとう。

 

結局、すべての公演を終えてみて、トロッコの最前も天井席も立ち見席もそしてセンターステージ、メインステージの近くのアリーナ席、バックステージの近くのスタンド席と一般に言われる良い席も悪い席も様々な席をすべからく経験した。その結果、自分の応援スタンスのようなものが確立された。

 

ファンサを貰うより自担の歌って踊ってるところが観たい

 

それが私の結論だった。前述の通りファンサを頂く喜びというのは計り知れない。苦労して作ったうちわに気づいてくれて、何かしら反応をくれる。好きな人の瞳に自分が映る。それは例えば他のヲタクに対する優越感にも繋がるのかもしれない。

だけど私は、それに夢中になって目の前で歌って踊ってる担当に集中できないのはなんか違うなあ、と思った。実際スタンドトロッコが通る最前の席に着いた時は、トロッコが通る瞬間(結構終盤)まで落ち着かなくて、トロッコが通ったときにファンサを頂いてからは、20を過ぎて恥ずかしいけど、立てなくなってしまって全然ライブ自体に集中できなかった。もちろんそれすらも幸せな思い出であり記憶だけど、もったいなかったなあという気持ちが残った。

 

その代わり、センターステージ近くのアリーナ席だった時はファンサは頂けなかったけれど、全身全霊で歌って、華奢な四肢をダイナミックに動かして踊って、最高にキラキラ輝いている担当を常時近くで観ることができて、めちゃくちゃ幸せだった。今回のライブはラストのセンターステージでの大胆なレーザーや照明を用いた演出が醍醐味だと個人的には思っているから余計に。担当の立ち位置の直線上でラストの挨拶を聞いたときはボロボロに泣いた。同行者に大丈夫ですか?と言われるほど。

また、バックステージ近くのスタンド席だった時は、目の前で担当が私の1番好きな曲(これからの決意表明の曲。メンバーで歌詞を持ち寄って作詞した曲)をワンフレーズ歌ってくれて、またしても同行者に心配されるほど泣きながらこの人に一生ついていこうって密かに誓ったりした。ちなみにその時はもうファンサとかどうでもよかった。私は彼が今ステージに立って歌ってくれていることが何よりのファンサービスだと思った。

私は彼の歌っているところが1番好きで、歌っているところをテレビで見て好きになったから、生で歌っているところを見られるのはこれ以上ない喜びだ。顔がめちゃくちゃ好みで、スタイルも好きで、笑った顔も愛しくて、歌声が好きで、癖の塊だけど歌い方も、マイクの持ち方も、仕草も大好きだ。それが生で、近くで観られるなんてこれ以上ないくらいの幸福だと感じた。だからトロッコが通る一瞬にかける席よりも、アリーナでステージの近くの席がいいなあ。

 

こんなことをごちゃごちゃ書いたけど、担当がステージに立っていれば私にとってはどこでも「良席」なんだと思う。もちろんさっき書いたみたいにステージ付近のアリーナが1番好きだ。だけど実際天井席でも存分に楽しかったし、なんなら立ち見では柵を掴んだことでバンギャ時代の感覚が戻ってきて1番盛り上がり騒いだような気がする。同じ空間にいることができて、ステージに担当がいて、歌って踊っている。それを私は遠くても観ることができる。スタンド後方でも椅子のない立ち見でも、負け惜しみでもなんでもなく、それだけで私は死ぬほど幸せだった。ちなみに、オーラスで担当が「後ろの方も見えてるからな!場所なんて関係ねえから!」って言ってくれて泣いた。めちゃくちゃ大好き。

 

担当が生きてることがファンサービス

 

この一言に尽きる。生まれてきてくれてありがとう。ジャニーズに入る決断をしてくれてありがとう。ジュニア時代を経て、グループとしてデビューしてくれてありがとう。私は新規なのでその辺りのことを軽率に語るのは控えるけれど、ジュニア時代ユニットを組んでいた仲間との事や、グループの形が不安定だったり、学業との両立に悩んだりしながらも今こうしてステージに立ってくれていて本当にありがとう。そして私を貴方のファンにさせてくれて、ありがとう。

グループの最年長(担当とシンメの関係にあり、私がとても尊敬しているメンバーだ)が「ファンのみんながいないと俺たちはステージに立ててないから」と言ってくれたが、私は「貴方たちがステージに立ってくれていないと、私たちはファンでいられない、だからありがとう」と思う。

 

もちろん席やファンサに対する価値観は人それぞれで、あくまでこれは私の感じたことだから、「いかに自担の視界に入れるかどうかが命!」というタイプのヲタクを否定しているわけではない。そもそも自分のチケットで現場にいるわけだからどんな楽しみ方をしようが周りに迷惑さえかけなければそれは本人の自由だし、特に赤の他人に興味もない。

(まあ私は席が悪かったから帰りたいと言ったり、ファンサ貰えなかったから担当をボロカスに言うような人とは価値観が根本から合わないので絶対に連番はできないけど)

 

きっと一般人だったとしても幸せな人生を歩めただろう彼が、常に他人と比較される厳しい環境で、自由に恋愛もできず、プライベートで出歩くこともある程度制約され、心ない人たちに好き勝手に言われることもある、「アイドル」を選んでくれた事に感謝したい。きっと私なんかには計り知れない程の努力や苦労があるんだろうなあ。嫌いなジャニーズランキング11位だったって言ってたけど、貴方に投票した人はとことん見る目がない。もはや見えてない。かなりやばい。だから気にしないでほしい。でも知名度があって注目されてる証拠だと仰る担当のお母様は流石だなと思った。芸能人とはそれぐらいのメンタルじゃないとやっていけないんだろうな…

ちなみに私にとっては好きなジャニーズランキング1位〜30位すべて貴方で、理由も全部考えられるので安心してほしい(?)

 

 

そして私には夢ができた。彼らのグループのドームコンサートに行くことだ。彼らは残念ながらまだドームに立っていない。その辺の事情は私には分からないけれど、私はドームで彼らが見たい。遠くていい。アイドルだから。遠い遠い広いステージの上に君臨していてほしい。距離があって当然で、「距離の近さ」や「接触」を求めるなら私は別の界隈のヲタクになるだろう。(本音を言うとたまには近くでも観たいからアリーナでもコンサートしてほしいけど…)

 

今回のツアーをみて、ああこの5人はアリーナクラスに収まってていいような人たちじゃないなと思った。もっと大きな広いステージで輝ける5人だと思った。「ドームコンのチケット取れない!」「初めて行ったコンサートではあんなに近くにいたのに!」って私のことを嘆かせてほしい。

 

私は東京ドームを一面紫に染めてソロ曲を披露する担当が見たい。東京ドームを彼の色に染めてしまう担当が見たい。

 

本当に幸せな約2ヶ月をありがとう。ツアーが終わらないうちに次の現場の予定が発表されて、おそらくまた来月には担当の元気な姿をみることができそうで、嬉しい反面メンバーの体調が心配になったりする。老婆心だけど。個人の大きな仕事を並行しているメンバーもいるし夏にはグループとしての一大仕事もある。新曲のプロモーションも。めちゃくちゃ忙しいのではないだろうか…?こんなこと一ファンの私が心配するなんて差し出がましいけど、本当に健康にだけは気をつけてほしい…

 

次のツアーは今回のコンサートで新しくできた友人と回る予定だ。友達ゼロの状態でスタートしたのに4人も友達できたの、我ながらすごいなあと思う。社会人にもなるとなかなか新しい友人ができることって普段の生活ではないんだけど、これも担当のファンになれたおかげだ。

 

最近のいろんな騒動でジャニーズ事務所は色々言われているけど、誰が何と言おうと私は担当のいるジャニーズ事務所が好きだし、彼は生まれ変わってもジャニーズに入ると言っているので、私も生まれ変わってもジャニヲタになるだろう。

 

菊池風磨さん、私のことファンでいさせてくれてありがとう。貴方とSexy Zoneがいつまでもステージの上で輝いてくれていますように。

 

 

 

DDや掛け持ちは悪か

 

「何かしらの間違いでいいから僕のものになってくれないかなあ」ってそれはこっちのセリフなんだけどなあ

毎晩寝る前に聴いて泣いてるよ

 

今回はDDや掛け持ちについて色々書いてみたくなった。わたし自身が掛け持ちに該当するのかを話題の中心とするので、いつも通り自己満の長ったらしい文章になると思う。

前提としてわたしは人の好きな気持ちに良いとか悪いとかないと思っている。誰が誰をどんな風に好きだったとしてもそれはその人の自由であり、他人にあれこれ言う資格はない。(まあ、あまりにも誰彼構わず好き!みたいな人を見ると苦笑してしまうのは事実だし、そういう人が自分の担当も好きだと苦笑どころか真顔になるのが本音だけど) 

元々ジャニーズに対して好意的ではなかったのもあって、担当と呼べるのは今ずっとブログに書いている人だけだ。趣味も交友関係も狭く深くがモットーのわたしは自分の興味のないものにはとことん知らないし知らなくていいと思っているので、他のグループやジュニアのことは話題を振られてもほとんど答えられない。嵐ですらカラオケで歌えるレベルに知ってる曲は片手で数えられる程だ。ジャニヲタになるまでテレビをまともに見たことがほとんどなかったのも原因である。今年人生ではじめて24時間テレビを見ることになるぐらいだ。(バラエティ番組の面白さがイマイチ分からないタイプの人間で、今も担当が出ていない箇所なんかは速攻飛ばしているし、2時間のバラエティ番組を見続けて編集するのは結構骨が折れる)そんなわたしだけど、ジャニーズで初めにハマったのは担当のグループではない。ひとつめの記事でも書いたけれど担当に出会う前に一ヶ月だけ好きだった人がいた。仮にAくんとする。今現時点でAくんがわたしにとって「もう一人の担当」と呼べる存在か?と言われれば、残念だが違う。担当と出会う前の一ヶ月間はAくんのことしか見てなかったので、その時は担当だったかもしれないけれど、担当と出会ってからはAくんにはほとんどお金を遣っていないし、四六時中担当のことばかり考えているのでもはやわたしの心に彼は存在していない。

 

わたしは「担当/自担」って特別な言葉だと思っている。他の界隈から突然ジャニーズにやってきた身だからなおさら。ただ単に好きとか推してるとかじゃなくて、「担当している」。ここには、自担を信じて自担を愛してそれなりの行動力と責任感を持ってその人を応援する、グループや自担の調子が下り気味なときでも、揺れずについていくという意味が含まれていると思っている。少なくともわたしはそうだ。だからわたしは担当のことを表現する時「推してる」「推しメンは」などの言葉は意図的に使っていない。必ず「自担」とか「○○担」と言うようにしている。完全な自己満足であり、推しと呼んでいても行動力と責任感をもって応援している人はたくさんいることも承知の上だけれど、ジャニヲタになってからのわたしの密かなこだわりだ。

 

わたしの心に彼は存在していないと言ったものの、今もAくんのことは好きだ。仮にも今まで無縁だったジャニーズな沼に引きずり込んだほどの魅力的な人なので、全くどうでもよくて冷めてしまっているわけではない。コンサートに行けば普通に沸く。うちわも持つ。コンサート中は全力で楽しんでいる。だけれど、わたしはこの間の公演の帰り、オタクで超満員の電車に揺られて帰宅する頃にはもう、担当のことしか頭になかった。Aくんはテレビや雑誌によく出ているけれどわたしはそのどれも積極的にチェックしていない。日常生活でAくんに想いを馳せることは皆無だ。

こんな感じですごく中途半端に掛け持ちもどきみたいなことをしているんだけれど、最近「本当の意味で担当に一途になりたい」気持ちが芽生えてきた。担当と担当のグループ以外のコンサートには行かないし、歌番組に出ていても飛ばすし、音源も聴かない。そうなりたいと思い出した。担当以外のジャニーズに例えコンサートに行った時だけだったとしても沸く自分が許せなくなってきた。なぜただの趣味なのにそこまでごちゃごちゃ考えて拗らせるのか?もっと気楽にすればいいのにと我ながら思うけれど、こんな風に思うのは長いオタク生活の中で担当が初めてでどう対処すればいいのか分からない。気持ちの悪い言い方をすれば担当に自分を独り占めしてほしい。わたしが彼を独り占めすることは地球が何回回ろうが不可能だけど。

 

以上のことから考えると、わたしはどうやら掛け持ちを「悪」としているらしい。これは自分限定で、冒頭にも書いたけれど他人が掛け持ちしてようがDDだろうがさして興味がないというか個人の自由だと思っている。でもわたし個人は掛け持ちしたくない。担当だけ好きでいたい。365日24時間わたしの気持ちを明るくするのも暗くするのも彼だけでいいと思っている。Aくんには何の落ち度もないが、わたしはもう次のツアーには行かないだろう。究極の自己満足でアイドル側からしたら心底どうでもいいことだが、わたしはやっぱり担当に一途になりたい。たまに別のグループのコンサートに入ることが一途ではないことにならないし、気持ちだけで言えば担当に対してずっしり重たい愛情を向けている訳だからそこまで自分に厳しくする必要は何もないんだと思うけれど、それでもやっぱり。

 

ついでに言うと担当を好きになってからどんなに美しいジャニーズ(に限らず俳優やその他芸能人でも)を見ても一ミリも心が動かされなくなってしまったため、今後掛け持ちすることもなさそうだ。もちろん未来に絶対はないので言い切ることはできないが、なんとなく勘で担当から降りるときがわたしがオタク人生を引退するときなんだろうなと思っている。まだまだ終わらせたくない、なんなら生涯現役でいたいので、担当はもっとわたしのことを好きにさせてほしいな!

 

そういえばこの休みで録画してたMステをひたすら見てて、犬のロボットですらあんな風に抱き抱えてもらえるんだな〜羨ましいな〜って拗らせた。顔近すぎ…くっついてるし…ロボット相手に嫉妬するなんて我ながらぞっとする。ちなみにあのコラボなかなかシュールだったけど、犬ロボとの絡みでメンバーの個性が垣間見えて面白かった。大満足。

 

 

現場に行きたいけど行きたくない

 

久し振りにジャニショが開いてる時間に退勤することができたのでようやく新写真を買いに行った。仕事が忙しくて平日は閉店時間に間に合わず、休日は家で死んだように眠っていたので通勤沿線にあるのに2週間もお預けを食らっていた。今の髪型が個人的にあんまり好みじゃないのでたぶんさらっと1枚ずつ買えば満足だろうと思ってたのに、気づいたら2とか4とか書き込んでて1人で首を傾げながらレジに向かって、レジでの確認で全く同じ担当が4枚連続並べられた時はさすがに心の中で笑ってしまった。(おたく楽しい)

転勤のない職種だからその心配はないんだけど、もうわたしはジャニショが身近にない地域には住めないな〜と思う。

 

本題。タイトル通りコンサートに行きたいけど行きたくない。3月から全国ツアーが始まる。わたしは多分全公演の3分の1〜半分ぐらいの公演のチケットを確保している。多ステの是非はここであれこれ言っても仕方がないし、わたしは行きたくても行けない人の気持ちは考えられないし端から考える気がない自己中な人間なのでそういう議論がしたい人はツイッターでしてほしい。ただのオタクに偉い偉くないなんてないし、アイドルとしては同じ人が何回も来るより色んな人が一回ずつ来てくれる方が嬉しいのかもしれないけど、あれこれ理由をつけて家から念だけ飛ばしている人より、会費を払ってチケット代を払って会場にいる人の方が、よほど目に見える形で彼らを応援しているのは事実だ。前の記事にも書いたけど、わたしは目に見える形でなければ応援しているとは言えないという考え方の持ち主なので、いわゆる在宅やお茶の間と呼ばれる人たちとは(そういうファン層にも一定の需要があることを理解した上で)根本から分かり合えない。

 

話が逸れた。わたしがコンサートに行きたいけど行きたくない理由は主に4つだ。

 

①生で担当を見る前から色々拗らせてるのに見たらどうなるのか

②シンプルに同担見たくない

③同担にファンサしてるところ見たくない

④干されたらどうしよう

 

①は、よく友人からも言われている。「まだ現場踏んでないのにそんなに重くて大丈夫?」と。自分でも何だかんだこれが一番心配だ。この約半年間片時も忘れたことのない世界一好きな人を目の当たりにして生きて帰ってこれるかな。たぶんわたしは一曲目から泣くし、途中のバラードでも泣くし、かっこいい曲でも泣くし、終わった後も泣いている気がする。初日は他G担の友人に付き添ってもらうんだけど、彼女は取り乱すわたしの介助に終始することになると思うので、終わった後何かご馳走したい。

 ②のシンプルに同担見たくない問題。これはもう、しょうがない……と思っている。わたしはちょっと面倒なタイプの同担拒否で、根本として彼にもグループにも売れてほしいしもっと上に行ってほしいし、ゆくゆくは国民的アイドルになってほしいと思っている。だから(人気出て遠くにいっちゃった…)(世間に見つからないで)というタイプではない。そもそもそんな昔から応援してないし。まあ、チケット取りづらくなるのは単純に嫌だな〜とは思うけど…。さらに周囲の反応を見てもわたしの担当は世間に誤解されているというか正当に評価されてないのではないかと思っていて、もっと彼の魅力に気づく人が増えてくれればいいなあもったいないなあなんて思っている。芸能人は人気商売なのでファンは多ければ多いほど良い。もっと人気になりたい彼のことを純粋に心から応援しているし、それが現実になってほしい。そうは思っているけれど、コンサート会場で同担を目の当たりにしたいかと言われれば話は別だ。同担拒否に関してはまたじっくり書きたいんだけど、思春期の中高生は別として「わたしの自担くんだから他の女は○ね」ってタイプは意外と少ないんじゃないかなあと思う。世間一般的に同担拒否からイメージするのはこういう過激なタイプだろうけど、少なくともわたしは(わたしの○○くん)なんて思ってない。そもそも彼は一個人であり、人間なのでわたしのものでも他のファンのものでも誰のものでもない。ただ一方的に彼に片思いさせてもらってる身なのでそんなおこがましいことは思わない。でもやっぱり人間だから自分の好きな人のことを同じように思っている人を直接見てしまうともやもやぐるぐるするし、これは感情の問題なのでどうしても理性的に説明できない。ただただ視界に入れたくないし連番したり話すなんて以ての外だ。当たり前だがこちらから攻撃するつもりもない、ひたすら関わり合いになりたくない。わたしも無視するから、そちらも無視してほしい。もし偶然にも隣の席に同担がいたらどうしようと今から怯えている。

わたしの顔が佐々木希白石麻衣だったらこんな風に悩まなくてもいいのかなあ、なんて。

③も②と一緒です。見たくないよね〜!!!!この世で担当のスキャンダル写真やら女の匂わせSNSの次ぐらいに見たくないものでは?知らんけど。カウコンでファンサしてるところばっちりカメラに抜かれててめちゃくちゃ病んでツイッターで新年早々荒れてたのが記憶に新しい。我ながら死ぬほどめんどくさい。

④干されたらどうしよう

お前はファンサ貰うために現場に入るのか?そうではない。前提として純粋に担当がステージで歌って踊ってキラキラしてるところが見たいからコンサートに行く。彼の特徴的な歌声が好きだ。歌詞に合わせて変化する表情がたまらない。MCでボケて年下に冷静につっこまれてるのもかわいい。ちょっとクセになる曲中の煽りも生で聴きたい。全部今のところ映像でしか知らないから、生で体感したい。たまに「ファンサを貰うこと」「担当の視界に入ること」が目的になってる人を見ると相入れないなあと思う。もちろんその人のお金でその人の努力で獲得したチケットであり席であるので、どんな楽しみ方をしようが周りに迷惑をかけたり禁止行為をしたりしなければ、それはその人の自由だ。ただわたしとは相入れないな、ってだけ。このようにわたしはファンサだけが目的なわけではないけれど、それでもあわよくば…って思ってしまうのが人間だ。(席なんてどこでもいい!あなたが生きてることがファンサ!)それは確かにそうなんだけど、でもほしい。だってファンサってすごい。世界で一番好きな人が世界でその瞬間だけは自分のことを見てくれるのだ。間違いなくその瞬間だけは彼は自分一人を見ている。言葉にしただけで頰が緩む。

今までわたしが行っていたライブではファンサなんて概念はなかった。某大御所ロックバンドの25周年記念東京ドームライブでアリーナAブロックを引き当てたときは流石に歓喜したけど、生で見るボーカル(余談だけど彼はわたしの中で永遠の神様である)はめちゃくちゃ美しかったけど、それでもこっち見て!とか手振ってくれ!なんて思わなかった。近くで歌を聴けるのも肉眼で姿が見られるのも嬉しかったけど、反対に自分のことを見てほしいとかその視界に自分の姿を映してほしいなんて微塵も思わなかった。

けれど、ジャニーズはどうだろう。実はわたしは担当のコンサートが人生初のジャニコンではなくて、すでに二度ほど別のグループのコンサートに行っている。担当と運命の出会いを果たす前に一ヶ月だけ好きで、ジャニーズの入り口となったグループだ。一つ目の記事でいうところの「彼」のうちわを持ってアリーナにいたけど、すぐ横の通路を彼はトロッコに乗って通ったんだけど、残念ながらファンサは貰えなかった。終演後なんとなくがっかりしている自分に気づいて愕然とした。来る前は「席なんてどこでもいいよね」と友人と言っていたのに。人間はどんどん欲深くなるなと思ったし、同時に担当に干されることを考えたら背筋がゾッとした。ファンサすることはアイドルの義務ではないし、人によってその濃さは違う。自分のファンを一人一人見つけて全員ファンサする勢いの人もいれば、個別にうちわに応えることはせずにみんなに満遍なく手を振る人、全くしない人、気分次第な人、公式の顔うちわ贔屓の人、自分の好みだったり可愛いファンにしかしない人…人それぞれだ。ちなみに担当がどのタイプなのかわたしは知らない。ちょっと前に雑誌では「自分のうちわを持ってくれてる子には手を振るだけじゃ味気ないから見えてるよ、って意味で指を指す」というようなことを言っていた。

確かにカウコンでは指差ししてたね?

ちなみに前述した通り同担にファンサしてるところを熱愛記事の次に見たくないため、コンサートのBDもトロッコに乗ったり客降りした瞬間早送りしてしまうし、ネットで調べたこともないからその真偽の程は不明である。

以前ツイッターでバズってたツイートに「ステージの上の人を見たいじゃなくて見られたいと思い出したらそれはもうファンではなくただの厄介」というのがあった。そのツイートの言うことをそのまま受け取るなら、わたしはコンサートに入る前から彼のファンではなく厄介らしい。辛い。良い客でいたい。良い客って何なのか知らないけどな。

 

こんなことをぐるぐる考えてたらコンサートに行きたいけど行きたくなくなってしまった。すごく楽しみだし、そのために仕事も頑張れているし、遠征に伴って友達と美味しいもの食べたいな〜なんて計画を立てているし、実際当日になれば精一杯めかしこんでうちわと双眼鏡持ってスキップして出かけていくんだろうけど、色々考えてしまって手放しで喜べない。つくづく自分で自分がめんどくさい。たかが趣味なんだから、楽しむことはあっても辛い思いをする必要なんかないはずだ。もっと気楽にオタクしたい。何も考えずに好き〜って言いたい。頭では分かっているけど、現実問題わたしは毎日そのたかが趣味のことでああでもないこうでもないと悩んでいる。できたら、担当に出会う前の自分に戻してほしいとさえ思う。

ちなみにわたしは自分の担当が誰かはあえて言わないでおこうと思っている。もちろん名前を伏せているだけで特段隠そうとしていないのでどこの誰のオタクかは読む人によってはバレバレだろうけど、あくまで個人的な心情を匿名でグダグダと吐露したいが故に始めたブログなので、わざわざ彼の名前を出すメリットが見当たらないからだ。どちらかと言えば負の感情で渦巻いてるこの文章に、大好きな彼の名前を登場させたくないというのも一因だ。

名前は出さないけれど、担当は誰が何と言おうと銀河一かっこいい。あと筆舌に尽くしがたいほどかわいい。一見正統派のジャニーズっぽくないけど、彼の相方と違ってキラキラした王子様キャラではないけれど、きっと誰よりもジャニーズのアイドルであることにプライドを持っている。そしてわたしにとっては彼が世界でたった一人の王子様だ。

 

これ以上ないぐらい本音を言うなら、彼にとって唯一無二の女性になりたかったなあ

 

 

 

 

「応援する」ということ

「好きです、応援してます」

「これからも応援してください」

 

さて、このよく聞く「応援」って一体なんだろう。この手の話はよくはてなブログでもツイッターでも取り上げられている話題だと思うけど、持論を展開したくなった。

グーグルで調べてみると「力を添えて助けること。加勢。」と出てくる。応援する対象が誰なのかによってその力の添え方は変わってくると思う(スポーツ選手などが対象ならまた違ってくると思うし、わたしはそちら方面には明るくない)ので、今回は芸能人、とりわけジャニーズに関しての応援、力の添え方が何なのかについて話したいと思う。

 

まず結論から言うと前記事にも書いたけれど、私個人は「応援=お金を落とすこと」だと思っていて、アニヲタやバンギャをしていたときにはあまりしなかった考え方だ。わたしが応援とはお金を落とすことだ、と解釈することになった原因としては2つ考えられる。

 

1つ目は、好きな人が実在することだ。

数年前のわたしの好きな人は現実世界にはいなかった。実在しない平面だった。もちろんその時も学生なりにグッズを買ったり、イベントがあれば足を運んだり、できる限りお金は遣ったけれど、その時はただ自分がそのグッズが欲しいとか推しを見たいからという理由でお金を遣っていて、推しの応援になるとかそんなことは微塵も思わなかった。だってこの世界にいなかったから。もちろん、キャラの人気投票などで自分の推しを上位に食い込ませたいとか、コンテンツ内での露出を増やしたいからたくさん個人グッズを買うという応援スタンスを取っている人を否定する訳ではないし、実際お金を落とせば運営からそれなりの見返りだってあるんだと思う。むしろお金を落とすオタクがいなくなれば、コンテンツが衰退していくのは二次元も三次元も関係ないとは思っている。けれどわたし個人は、実在しない好きな人を「自分の身銭を切って応援する」という感覚は持てなかった。

今は違う。前記事の「君」(以下便宜上担当と呼びます。歴半年で担当呼びするなという意見は心に留めて頂けると幸いです)は間違いなくこの世界に実在する。自分と同じ日本にいて、今同じ時間を生きていて、自分と同じように朝起きてご飯を食べ、仕事に出かけて帰ってきて眠る、自分と同じ人間だ。当たり前だけど、人間が生きていくためにはお金がいる。生きていく、だけだとちょっとハードルが低いけど、そのプロポーションを磨くためにスポーツジムや美容院に行くのも(どちらも私の担当はよく行ってるらしい)、私服を買うのも(担当めっちゃお洒落)、後輩に美味しいご飯をご馳走してあげるのも(担当めっちゃ奢ってあげる)全部お金が必要。別に(わたしが担当の生活を支えてあげてる)なんて自己陶酔したい訳じゃない。まあ完璧にしてないかと言われれば頷けないけど。わたし一人いなくても彼は今の生活水準を保てるだろう。芸能人で、きっとご実家も裕福な彼からしたらわたしの費やした金額など端金だろう。けれど、結局のところわたしの支払った写真代、チケット代、グッズ代、雑誌代、CDやDVD代などはもちろん全部ではないにしても回り回って担当の給料の一部分になっているのは事実で、それがわたしの1つのモチベーションになっている。

もはや常識だと思うけど、担当に直接振り込みたいオタクはジャニショで写真、コンサートの時にうちわを買えばいいらしい。あれはグループではなく個人の売り上げになりいくらか本人にバックがいくのだそうだ。素敵な制度をありがとう事務所。

 

2つ目は、担当グループがまだそんなに売れていないことだ。バンギャだった頃のわたしは、自分の好きな人が売れていない、という感覚がなかった。90年代V系が主に好きだったので、好きなバンドは複数あったけどどれももうとっくに音楽界での地位を確立していて、知名度も高かった。一世を風靡したのは一昔前だったから大学の友達に同じバンドのファンはいなかったけど(ライブでは一人で頭を振っていた)名前を出して?顔をされたことは一度も無いし、あるバンドは(このバンドをV系に含めるかは諸論あるが)国立や東京ドームを一瞬でソールド(どころかチケット戦争勃発)させるようなバンドで、ファンも老若男女問わずいた。

売れているとか売れていないとかの基準は様々だしわたしはそっちの専門家ではないので分からないけれど、わたしが今応援しているグループ、及び担当が目指しているのは「国民的アイドル」の地位だ。1つの時代を創ることだ。加えてわたしの担当の夢は、かつて自分が嵐に憧れたように、自分たちも誰かに夢を与えられるようなグループになることだ。事務所でてっぺんを取りたい、ナンバーワンになりたい、二番じゃ意味がない。彼はそう言う。そこから逆算すると今の状況とはまだギャップがある。勢いのある後輩グループが下から追い上げてきている中で、いつまでも事務所の力に頼っていられないのが現実だろう。ここで勘違いしてはいけないのは、そのギャップの埋め方をファンがあれこれ言うことだ。もっとこうするべき、もっとこういう売り方をするべきだとかそういうのは本人たちや事務所に任せればいいわけで、むしろそれが彼らの仕事であり、わたしたちファンが担う役割は彼らをプロモーションする大人たちに「彼らの需要」を見せつけることだと思っている。需要を見せつける、ためには手っ取り早く数字を出すのがいい。CDやDVDの売上枚数、コンサートの動員数、その他グッズなどの売り上げ。身近で言えば担当が起用されたスマホゲーム、起用前と起用後の課金額の伸び代。

アイドルは慈善事業ではない、ビジネスだ。綺麗な照明を浴びてキラキラした衣装を纏ってピカピカの笑顔でステージで歌って踊っている彼らはそんなこと微塵も感じさせないけど、彼らにとってはそれが仕事であり、わたしたちファンは顧客だ。でも現実は、違法ダウンロードサイトで新譜を聴いてCDを買わない、ネットに流されている動画や画像で満足してコンサートの円盤や雑誌を買わない。ファンクラブや月額の有料会員しか見られない動画や画像を平気でツイッターに載せるなどが横行している。別にマナー厨になりたい訳でも、ここで学級会を開きたい訳でもない。そんなものはツイッターでたくさん開かれている。でも、そういう行為をしている人たちは、アイドルとはビジネスで、私たちは顧客だという意識が欠落しているんだと思う。レストランで食事をしてお金を払わず店を出る人はいない。商品をお金を払わずお店から持ち出したらそれは万引きだ。窃盗罪だ。サービスや商品を享受したいならそれなりの対価を払うのは当たり前のことで、わたしたちはその当たり前のことを日々当たり前にしているはずだ。それは対アイドルにしても何ら変わらないと思うのはわたしだけだろうか。

さらに、コンサートをするのも、新曲をリリースするのも、全部お金が必要で、事務所やレコード会社にかけたコストに見合うリターンがない、と判断されれば段々リリースやコンサートなど彼らを目にする機会は減っていく。わたしも一社会人の端くれとしてビジネスとはそういうもので、それで当然だと思っている。

わたしは担当と彼のグループのメンバーにそんな風にはなってほしくない。現実事務所は彼らにとても好意的だ(好意的すぎるほど)けれど、それに胡座をかいてばかりはいられない。期待をかけて、たくさんコストをかけて仕事を振ったけどリターンがないと判断されたら、事務所は態度を変えるだろう。

彼らの目指す場所はてっぺんで、他のファンの人は知らないけど、少なくともわたし自身はてっぺんを目指すアイドルのファンとして、それなりの自覚と行動を伴いたいと思っている。

 

あれこれ偉そうに尤もらしいことを言ったけど、わたしは根底として担当が好きだからお金を遣うし、それが彼を応援することに繋がっていると信じている。あと、わたしは欲深い人間なので、担当に好きと伝えたい。わたしがこんなにあなたのことを好きであなたに頑張ってほしい、もっと上にいってほしい、あなたの夢が叶ってほしいと思っている人間がいることを知ってほしい。

そのためには家で寝っ転がってツイッターで好きだと呟いていてもをだめなのだ。彼は一般人ではない。わたしが無償で関わっていいような人間ではないのだ。たとえ自己満足だとしてもせっせと担当とグループにお金を落として、現場に入ってあなたのうちわを持って歓声を送らなきゃいけない。そうしなければ伝わらないし、伝わらない、形になっていない応援なんか応援じゃないとわたしは思っている。

拝啓「君」

今までずっと読む専門だったけれど、そういえば私が世間で言われるところのいわゆる「ジャニヲタ」になって半年が経過したので、記念にブログを始めてみることにする。

20数年の年月を生きてきて、突然ジャニーズにハマった。振り返って見れば小中高と周りにジャニヲタがいたり見ていたドラマにジャニーズが出ていたり、ハマる要素はそれなりにあったのに、捻くれ者の私は王道の代名詞のようなジャニーズにハマるなんて有り得ないと思っていたので、ことごとくその機会をスルーしていた。そしてどこかジャニヲタを蔑んでいた。自分もアニメヲタクだったりバンギャだったからそれなりに濃い趣味の持ち主だったけど、「人と違うものが好き」「変わった趣味を持っていること」にどこかプライドの様なものを感じていて(厨二病あるある)ジャニヲタなんてただのミーハーだし思春期の一過性のものに過ぎない、なんて思っていた。

そんな変わり者を誇っていた私がジャニーズにハマったきっかけはごくごくありふれたものだった。ジャニヲタの友人におすすめされたのである。長くなるからその過程は割愛するけど、私はとある若手デビュー組のとあるジャニーズアイドルのことを好きになった。かっこよくて、可愛くて、面白くて、メンバーに愛される彼のことを好きになった。先に断っておくけど残念ながら彼はタイトルに記した「君」ではない。
当時私は(自分はジャニーズが好きになったんじゃなくて、たまたま好きになったタレントがジャニーズ事務所に所属していただけなんだ。だからジャニヲタじゃないし、他のジャニーズアイドルには興味が一切ない)と思っていた。それは本当のようで嘘だった。はじめに好きになった「彼」との出会いから約1ヶ月後、私は「君」と出会ってしまった。

「君」のことは知っていた。私のことをジャニーズにはめた友人が「君」のアンチだったからだ。「君」は万人ウケするタイプではない。デビューはしているし、それなりにファンも獲得しているけれど、嫌いなジャニーズランキングにも、ルックスがイマイチだと思うジャニーズランキングにも幾度となくランクインしている。「君」の名前を告げて、プラスの反応をもらったのはこの半年でほとんどと言っていいほどない。
友人がアンチ、からのスタートだったのでもちろん私の「君」に対する印象も良いものではなかった。「君」と同じグループにはもっとかっこいいメンバーが何人もいたし、もしグループにハマる可能性があるなら、担当となるメンバーはそっちだろうなと思っていた。V系が好きだったこともあって私は派手で華やかで人目をひく誰が見ても美形な人が好きだったから、そんな容姿とは正反対の「君」を好きになるなんて思ってもみなかった。

9月のある日、前述した彼を見るために私はジャニーズのグループがほぼ全員出演する大型歌番組を見ていた。「彼」のグループの出番が終わって、「君」が属するグループの出番になった。特に意識してなかったけど、なんとなく流れでそのグループのステージを見た。それが初めて私が「君」の歌っている姿を、踊っている姿を、カメラに向かって自分をアピールしている姿を認識した瞬間だった。
歌っている「君」を見たとき、なんだかゾクゾクする感覚がして、自分の足元が不安定になって、このまま崩れ落ちてしまうんじゃないかという感覚に襲われたことを覚えている。分からないけれど、今まで築き上げてきた何かが全部なくなるような感じ。
(あれ?なんで?全然タイプじゃないのに…友達はアンチなのに…)
私が以前読んだブログに、「恋と推しには落ちるもの」という言葉が出てきて、至極名言だなあと思ったんだけど、まさに「君」との出会いはこれに当てはまる。好きになった、とかファンになった、とかハマりそう、とかじゃなくてきっとあの瞬間私は「君」に落ちた。それも真っ逆さまに。

「君」に落ちた後の私は、「彼」の時とは比べ物にならない熱量でその姿を追い始める。過去の音源を求めるのはもちろん、コンサートの円盤も購入した。ジャニーズショップに行って、店頭にある「君」の写真を全て買い占めた。アイドル誌やテレビ誌の類は全部チェックし、ほぼ全て手に入れた。単純に大好きな「君」の写真を家でゆっくり見たかったのもあるけれど、それよりもインタビューをじっくり噛み締めて読みたかった。「君」の綴る言葉が好きだったから、仕事やメンバーに対する姿勢や、綴る言葉の裏に透けて見える人となりをもっと知りたかった。さらにBDレコーダーなるものも購入した。私含め家族全員今まで全くと言っていいほどテレビを見る習慣がなく、私が長らく腰を据えていたV系界隈の人たちはテレビにはほとんど出なかったので家に録画機の類がなかった。でも「君」はたくさんテレビに出る。ジャニヲタなら必ず一度は見たことがあるであろう金曜日の番組、それから各種大型歌番組、さらにはバラエティや冠番組など…その全てをリアタイするのは無理だし、何より何度も見返したい。だから私は思い切ってBDレコーダーを購入した。何だかんだジャニヲタになって一番買ってよかったものかもしれない。

話は変わるけど、もしこのブログを読んでくれている人がいたら聞きたい。皆さんは担当のどこが最も好きだろうか。顔?歌?ダンス?トーク力?演技?
私は「君」の人となりが最も好きだ。アイドルの人となりが好きだなんて笑われるかもしれない。そんなもの分かるわけないし、芸能人なんてみんな腹黒い、そういう人もいるだろう。もちろんテレビや雑誌、ラジオなど「メディア」を通した「ジャニーズのアイドル」としての「君」の人となり、という意味だけれど、私は「君」の人となりが大好きだ。詳しく書くことはしないけど、熱くて負けず嫌いで目立ちたがり屋なのに、優しくて繊細でグループを俯瞰して見ることのできる「君」が好きだ。まさに動の赤と静の青の両方の色を持ち合わせている人だと思っている。とにかくそんな「君」という人物が好きで好きでたまらない。容姿だって、今までの私の好みからは掛け離れているのに、かっこよくてかわいくて愛しくして仕方なくて、その小振りなパーツがその配置でまあるい輪郭に収まっていて、「君」という人間を形作っていることに感謝するぐらいには好きになっている。
昔から、例えば「君」がデビューする前から応援しているようなファンの人からしたら、私なんてただのミーハーのにわかに過ぎないだろうけれど、私は私なりの解釈で「君」が好きで、ミーハーのにわかなりに少なくないお金を費やしていると自負している。現時点でまだコンサートには行けておらず「君」の存在を肉眼で確認したことも「君」の歌声を生で聴いたこともない(単純にタイミング的な問題で)。しかし有り難いことに一応予定はあるので(多ステや積みの是非は置いておいて)私は複数公演のチケットを確保している。それが良いのか悪いのか私には判断することができないけれど、1回でも多く大好きな「君」がステージで輝く姿を目に焼き付けたいと思った結果だ。
「君」のことを考えるだけで毎日が輝いて、「君」の歌声を聴くだけで嫌なことは忘れられた。しんどい仕事も「君」を見るための、応援する(私は応援することとはお金を落とすことと同義だと思っている)ためなら苦ではなかったし、「君」の出る番組を録画して編集して焼いたディスクが溜まることや、積み上がっていく雑誌の山が嬉しかった。

反対に辛いことや苦しいこともたくさんあった。まず周囲の友人からの理解が得られないことだ。「君」に関して心ない言葉を言われて傷ついたことは何度もある。めんどくさい奴だと思われたくなかったから傷ついていることは表に出さなかったけれど。例え芸能人だったとしても好きな人を悪く言われて嬉しい人なんていないと思うし、少なくとも私は友人たちの推しが自分の好みではなかったとしても貶したりなんてしない。人にはそれぞれ魅力があって、自分がその魅力を理解できないだけで糾弾するのは人としてとても寂しいことだと思う。あまりの酷い言われように、一時期は本気で落ち込んだ。けれどそれは「君」のファンでいることにまだ自信がなかったが故のことだと今では思う。誰に何と言われようと「君」の魅力は私がよく知っていると断言できて「君」への気持ちは他人にとやかく言われたぐらいで揺らぐようなヤワなものではなくなってからは何を言われようがどうでもよくなった。
もう一つある。これは書くべきか迷ったけど、どうやら私は「君」にリアコをしてしまったようだ。リアコ、とはアイドルや俳優など手の届かない芸能人にリアルに恋をしてしまうことで、どの界隈にも一定数いる。ジャニーズも例外ではない。そもそもリアルに会ったことも喋ったこともなければ相手に姿を認識されてるわけでもなくプライベートの相手を知らないのにリアルに恋とは?という意見は非常に正論だと思うけれど、それが自分でも痛いほど分かっているからこそ余計に苦しい。流石にもう夢見る少女という年齢ではないので、「君」とどこかで出会って付き合えるかも、いや自分が芸能人になってお近づきに…なんてストーリーは描いていない。ファンとヲタクの関係はこれからもずっと、私が「君」のファンを辞める時まで変わらないだろうしいつか「君」は私じゃない誰か他の女性とお付き合いして結婚するだろう。それはよく分かっているけれど、よく分かった上で今の私の好きな人は紛れもなく「君」だ。会ったことも話したこともなければ、私という人間のことを知るよしもない「君」だ。朝起きた時や寝る前に思い浮かべる人も、美味しいご飯を食べた時に食べさせたいと思う人も、楽しそうな場所に一緒に行ってみたいと思う人も、地球上で「君」一人だけだ。良い歳した大人が痛いことを発信しているのは分かっているし、現実を見なきゃいけない年齢なのも自覚している。10年後に後悔するかもしれない。けれど今この瞬間を生きている私は「君」以外の誰かを好きになることはできないし、なろうとも思わない。毎日ぐるぐる葛藤しては結局この結論に至っている。

ただ取り留めもなく半年を振り返ってみて私はやっぱり「君」が好きなんだと思った。いつまで「君」のファンをやるかは分からない。今まで倦厭していたジャニーズに突然ハマった女だから、次は何にハマるか分かったものではないし、朝起きたら「君」に突然飽きているかもしれない。フラっと見た番組で、デビュー前のフレッシュなジュニアの子にハマってしまうかもしれない。縁起でもないことだしそれだけはないと言いたいけど、「君」が突然ステージから降りることだってあるかもしれない。未来のことなんて誰にも分からないし、世の中に絶対なんてない。

だけど私は「君」のあの夢が叶った未来を、きっとそう遠くない未来を「君」と一緒に喜びたいと思っている。今はそれで充分だ。